あっぱれろくでなし
自分で言うのもなんだけどあたしはどうしようもないほどのクズで、彼氏のカズキくんが初任給で家族を沖縄に連れてっている間に飲み屋で知り合ったゆーせいくんの家に行ってセックスをしてしまったりするし、ハタチのころちょっとだけ働いてたセクキャバの客たちや知り合いに借りた金が積もり積もって50万を突破しているし、やっと見つけた職場で初日に上司にメチャクチャ怒られてムカついたので次の日に無断欠勤してそのままバックれたりするようなことは平気でできてしまうのだった。島田カナ、無職。24歳。
昼間っからベランダでビールを傾けながらたばこを吸ってぼーっとしていた。もう1時間もそうしている。カズキくんからは「家族旅行に行ってくる」以来連絡はないのでたぶんもう二度と会う事はないし、会社や取立人からの電話がウザいので携帯の電源はずっと切りっぱなしだ。もちろん両親とは18歳で上京してから一回も連絡をとっていない。高校ではイジメられていたので毎週あれやこれやと話すような友達もいない。東京でできた友達はみんなから5万くらいずつ借りてバックれたので縁が切れまくって、唯一の知り合いといえば、18歳のころやっていたゲーセンのバイトで知り合った女子中学生ぐらいのもんだった。
女子中学生はハタチになっていた。今はアパートを借りて、近所のショボい本屋で働いている。名前は吉川ちま子。ダサいのは名前だけじゃなくて、生まれてこの方髪の毛は染めたことがなくいつもボサボサで、月にいっぺんだけあたしが適当に切っているせいでいつも不格好に短い。肉を食わないのでかわいくないほど痩せている。両親はエリートだけど子供に興味がなくて、兄貴はこんなブスにも性的暴力をふるうクソヤロウだった。そのせいで高校もろくに行けずに卒業できなくて、バカでマヌケでドジでのろま。そして今、家賃滞納で追い出されたあたしの面倒をみるほどのアホみたいなお人よしだった。
ちま子が仕事に行っている間はすることもないし、あたしはいつも勝手に暮らしている。ちま子のゲームを勝手に進めたり漫画を読み散らかしたり、飽きたら売って小金にしてパチンコや競馬につぎ込んだりしていた。ちま子はなにをやっても怒らなかった。というよりあたしが怖くて怒れないんだろう。いつもビクビクしながらあたしの顔色をうかがっている。あたしは酒に酔うと暴れるタイプだったけれど、そういうのにも一切口出しをしてきたりはしなかった。だからあたしはここにいるのが楽で気に入っている。今のところ真面目に働くつもりはないし、実家に帰る予定もない。
ちま子の堪忍袋の緒が切れるまでここにいるつもりだけど、いったいそれはいつ切れるのか。正直なところ、それがとにかく謎だった。あたしは自分で言うのもなんだけど相当のクズだしよっぽどの美人とかでもない。金になるものなんか祖母の形見のルビーの指輪ぐらいであとはなけなし、おまけに躁鬱持ちで薬を常用している。いったいぜんたいなんであたしなんかを家に置いているのか、なんかのペット的感覚なのかどうなのか。まぁペットだろうと寄生虫だろうとなんだっていいんだけどあたしは。生きてても死んでても同じようなもん。ユーレイだ。死人だ。リビング・デッドだ。
あたしは煙草の吸い殻をたばこの空き缶でもみ消して、ンーッとのびをした。そんな死人でも腹が減ったり眠くなったりするもんだからやってられない。アアなにもかもめんどくさいや。精神的には安定期だけど、そういうときは決まってとろとろとした眠気が慢性的に押し寄せてくる。あたしはごろんと仰向けに寝転がって、窓枠と天井のすきまから狭苦しい空をみあげた。
「…カナさん、」
は、とした。いつの間にか爆睡していたようだった。夜はクスリがないとすっかり眠れないくせにうとうとするとすぐこれだ。しかもご丁寧にベッドに移動までしていて、あたしは枕に顔を押し付けながらウーと唸った。寝起きはサイアク。嫌な夢を見た気がするし、歯を食いしばっていたせいで顎が痛い。
ちま子はそんなあたしを不安そうにのぞきこみながら、あたしの寝起きの機嫌を損ねないようにちいさく言った。
「カナさん、ごはん食べましたか?」
「……カレーのにおい」
「帰りにじゃがいもが安かったので」
「食う」
あたしがそう言いながら布団のなかで身をよじらせるのをみて、ちま子は安心したように笑って立ち上がった。ベランダの戸は閉められていて、ビールの缶もたばこもきれいに片づけられているらしかった。もしかしたらあたしをベッドまで運んでくれたのはちま子かもしれないとぼんやり思って、やっぱりそれはないと頭を振る。ちま子は小柄で痩せ型だけど、あたしはもともと女にしてはデカいし、ここ最近の躁の波ですこし太った。おおかた肌寒くなって自分でのろのろ移動したんだろう。あたしは寝起きの頭痛に耐えながらなんとかベッドを抜け出して、すぐそばにあるクッションにおしりを下した。
この部屋は狭い。ベッドがひとつと、こたつテーブルがひとつ、テレビ、大きめの本棚がひとつあるだけで結構みちみちている。あたしとちま子はこの8畳間で暮らしている。あとはキッチンと、お風呂と洗面台があるだけ。はみだしものの二人が生きていくのにはなんの問題もないスペースだと、あたしはおもっている。
食事はこのこたつテーブルで食べる。ちま子のパソコンが邪魔なので隅にどけて、あたしはカレーがこっちに来るのを今か今かと待っていた。腹は減る。腹は減るのだ。
「はい、どうぞ。カナさん」
ちま子はカレーとライスを盛った大きめの器にを、まずあたしの前に置いた。スプーンもちゃんとある。横にはキンキンに冷えた麦茶も置いてくれた。ちま子が自分の分をキッチンに取りに行っている間に、あたしはスプーンを手に取りカレーライスに第一刀を射し込んだ。
「んー、まい!」
鬱のときは食欲なんてほとんどないけど、躁を抜けたばっかのときはあんがいガツガツ飯が食える。しかもちま子はそれなりに料理上手だときてる。あああたしが男だったらちま子を嫁にもらってたかもしんない。しかしあたしは男ではないし、男だったとしても嫁を取れるほどの甲斐性は絶対にない。断言していい。
ちま子は自分のぶんのカレー皿を持ってきて、しずかに横に座った。
「んまいわ。カレーはやっぱ庶民カレーが至高だわ」
「そうですね」
「でもアレよ、たまーにガッツリ系のインドカレーとかめちゃくちゃカラいグリーンカレーが食べたくなったりすンのよね。衝動的にさ。マァそんなのすぐ飽きちゃうんだけど」
「ええ」
「キーマカレーとかさそういうオシャレなカレーさ。あれうまいけど飽きる。ちっさいころからみんなああいうオシャレカレー食ってるから、飽きないのかな?」
「そうですね」
「あとわたしカレーにチーズ入れるやつキライ。死ねばいいと思う。なんでもぶっこめっていう根性が気に入らない。殺したい。いやでもカレーもなんでもぶっこみ煮か。ごめん前言撤回」
「わかりました」
「つーか今日寝すぎた。あたまいたい。カレーうまっ。待ってあたし臭い?風呂入ったのいつだっけ」
「二日前です」
「なんだ、まだ大丈夫だな」
ちま子は小さく微笑んだ。あたしは自分の脇のにおいを嗅いだせいでカレーを食う手を停めていたけれど、そんなちま子を見てふと気が付く。なんで笑ってんだコイツ? 生まれたころから不幸なくせして、生まれたころから人生なめくさってるあたしを養って、カレーまで食わせて、さらに仕事しないわ身近なやつからの借金まみれだわ飯食ってるとき静かにできないわ、最悪じゃん。いったいなにが面白いんだ?
「なんで笑ってんの?」
「え……、ご、ごめんなさい」
「いや謝らなくていいからなんで笑えるのか教えて」
「わ、笑える?」
「笑ったじゃん今。ねえ考えても見てよあたしらこの近所じゃぶっちぎりで不幸でクソッタレな関係だと思うんだけど。レズじゃねえからセックスもできないし。男じゃないからアンタを嫁にもらってやることもできないんだよ。貴重な二十代をなに無駄にしてんの? ぜんぜん笑えねえよ」
あたしはそこまでまくしたてると、指でかるくはじいてスプーンを跳ねさせた。カレーが飛び散って、ちま子の白いシャツにぼたりと汚いシミができる。それを見ておもしろくなって、あたしはそのままカレーの皿をちま子の胸にめがけて投げつけた。ちま子は避けようともせずにそれを被り微動だにしない。平べったい胸の上をカレーのじゃがいもやらにんじんやらがボロボロ零れ落ちて、ちま子のシャツはもう台無しだ。
「台無しだよ」
「……カナさん」
「なんなの? そのまま殺せよこんなクズ。飯なんて食わせんな。あたしなんのためにあんたと一緒にいるの? てかなんであんた笑えるのかマジでわかんない。カレーぶつけられたんだから怒れよ。キレてみろよ。笑ってんじゃねえよ」
「カナさん、あの」
「なに」
「カレー、おかわりあります」
「意味わかんない。マジであたし、あんたが怖くなってきた。なんで?」
「なんでって……多く作ったので…」
「カレーのことじゃないよ」
「カナさん、わたし」
「だから何。ていうかもう理由しか受け付けない。なにこれ。今の現状なに? 今ちょっと無理、いろんなこと無理、頭いてえし薬ちょうだい」
「はい」
素直に立ち上がりそうになるちま子を、すぐに手を伸ばして止める。突然立ち上がったせいでちま子の膝の上からカレー汁にまみれた肉が零れ落ちていくのを、2人してじっと眺めた。
「いや……薬はいいんだけど」
「でも頭が痛いんじゃ」
「毎日20錠ぐらい飲んでるしもう飲まないほうがいいと思う自分で言うのもなんだけど」
「わたしもそう思います」
「じゃあ止めろよ」
「えっと、」
「マジでもう猶予ない。あたしあんたを殴ると思う。このまま理由教えてくんないと」
「カナさん」
「なんであんた、あたしと居んの?」
ちま子はあたしに掴まれたままの腕を見下ろした。あたしはゆっくりと彼女の細い腕を離す。あたしのバカみたいな加減を知らない力のせいで痕が出来ている。ちま子はあたしの前に丁寧に座りなおして、カレーまみれのシャツのまま、なぜだかとっても優しくはにかんだ。
「カナさんが好きです。死ぬまで一緒にいたいです。わたし家でも学校でも居場所がなくて死にたかったんですけど、中学生の時。そのときカナさんに逢って、あの、カナさんは覚えてないかもしれないけど。わたしの腕のリストカットの痕みて、「あんたかわいそうだね」て言ったんです。これ」
ちま子はそこまで言うと、シャツをめくって手首をむき出した。目をそむけたくなるようなエグい線の数はどのくらいだろう。深くえぐりすぎて肉がめくれ上がっているところもある。今にでも血が滲みだしそうなほど生きた傷。あたしはそれを見て、「で?」と続きを促した。
「そのときわたしはすごくうれしくて、かわいそうって言ってもらえるの嬉しいなって思って、それで、カナさんのことストーカーしてたんです。カナさんが彼氏と付き合ったり別れたり、一晩だけの関係があったり、借金の返済相手から無理矢理犯されたりしてるの見てました。かわいそうって、わたし、カナさんのことかわいそうだなって思うんです。わたしと一緒です。カナさん、誰にも好かれてなくて、地獄みたいな人生で、はやく死にたいはずなのに、すごく堂々と生きてる。何が悪いのってかんじで。わたしそういうカナさんが好きなんです。もっともっと不幸になってかわいそうになって、わたしはカナさんのことかわいそうだなって思って、カナさんもわたしのことかわいそうって思ってて、それで、いつか結婚できたらなって」
「………結婚はできないけど。日本じゃ」
「……え? そ、そうなんですか?」
「いやつっこむところは、他にもある気がするけど」
「はい」
ちま子はあたしをずっと見つめている。まるで恋する乙女のように。なにも罪悪感のない、背徳もない、ただ純粋なる愛のまなこで。うわあこんな目で見られたの久しぶりだな、ていうかはじめてかもしれないな、と思いながら、あたしは指を伸ばしてちま子のくちびるをつまんだ。うすくてつまんなそうなくちびる。あたしのこと好きなんだってこの女。めっちゃウケる。とりあえずキスでもしてみるか、てなかんじで、あたしはちま子にキスをしてみたのだった。カレーくさいキス。なんならちま子もあたしもいろんな意味で臭い。くっつけただけみたいなどうしようもないキスはいっしゅんで、ちま子はどうしたらいいのかわからないみたいでじっとしていた。
「……不味い」
「あの、カナさん…」
「あたしキス好きじゃないしやめればよかった」
「わたしかわいそうですか?」
ちま子。
バカでノロマなちま子。
ダサくて痩せぎすでかわいくないちま子。
カレーまみれのシャツを着たちま子。
ホームレスのゲロ以下な女を好きになったちま子。
「うん。かわいそう」
「カナさん大好き……」
ああどうなんだろうこれ、と思いながら、あたしはちま子に抱きしめられた。まるで経験したことのないような感情が胸にせりあげる。やわらかい、あれ、やわらかいってこんなかんじか。ちま子おまえも、女なんだねえ。ていうかあんたのカレーがついたじゃん服に。いやあたしがやったんだけど。あーあ、なんてあたしってかわいそう。
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