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遺書



あッそうか俺にはなんにもねーんだと気が付いたのはコンビニで買ってきた弁当を夕飯にテレビを見ているときだった。気が付いてからはもうあまりにも早くなにもかもだめになった。テレビではたくさんのキラキラした人間がキラキラとした言葉をしゃべっていてたまにはバカみたいなことを言って笑いながら白い歯を見せたりして、俺はぼんやりと去年から放置したままの虫歯のことを思い出した。もう痛まないしたぶん大丈夫だろうと素人勘定だが単純に歯医者が嫌いなだけだった。5年前から不眠症が治らなくて薬ばかりが増えていくし、仕事の案件はいつまでたっても悩みの種だし、そこまで考えるとジェンガがガラガラ崩れていくようにいろいろとこぼれてしまった。彼女との結婚を考えて薄給からちまちまと貯金していたくせになぜだか突然バカらしくなって全額をパチンコに溶かしたこと、それは今も彼女に秘密なこと、中学の時に「目つきが気に入らない」とかいうクソみてえな理由でボコボコに殴られて気を失ったこと、大学生のときのセックスフレンドが実は人妻で「もうやめましょ」なんて泣きながら言う様をみてもなんの感情も抱かなかったこと、それからもう3年は油絵を描いてないこと。そうするとさっきまで食べていたからあげの味がしなくなった。くちゃくちゃ噛む音がきもちわるくなった。社会人になってから患った軽度のうつ病が治って患ってを繰り返してばかりで、月一の病院で「お変わりないですか」「はい、特に」なんてしょーもないやりとりばかりしている。もうどうしようもない。何度だってダメになってきたが今回こそは本当にもうだめだと思った。こっからさき生きててなにがあるんだろうか。しあわせもふしあわせも面倒だ。いらん。いらんもう。家族も彼女もぜんぶ捨てる。だめだ。俺は生まれてから死ぬまでたったひとりだ。で、「あー、死の」とつぶやく今。抑うつ薬と眠剤を何粒か口のなかに突っこんで水道水で流し込むと、その場で服を脱いで風呂に入った。頭からシャワーをかぶる。つめたい水がどんどんぬるくなり、熱くなるのを感じていた。1か月前に衝動的にバリカンで頭を剃ったので、洗髪はシャンプーだけで済む。身体を洗うためのせっけんを泡立てていると薬と湯のせいで頭がもうろうとしてきたので、脳内で遺書を考えることにした。



前略
俺の人生に関わって下さった皆様がたへ


不徳の致すところではございますが俺は今日死ぬことにいたしました
おふくろ、親父、兄貴、迷惑をかけます
理由は特にございませんので、ご責任なぞ感じられぬように宜しくお願いします
家具はお好きにお使いいただくか必要がなければリサイクルショップでお売りください
実家の部屋に置いてきた油絵はすべて燃やしてください
残っている絵の具は美大の後輩の只野祐樹という男に譲ってやってください
俺のような愚鈍で馬鹿でどうしようもない人間と付き合ってくれてありがとうございました
あの世では上手くやろうと思います


早々
平成28年1月11日 椿木ハルオ

追伸:ちよりへ 今後の人生くれぐれもどうか元気で




風呂を出てバスタオルにくるまっていると、ふとリビングから音がしているのに気が付いた。着信だ。会社からかもしれない。ふらつく足取りでテーブルにつっかかりながら電話をとると、相手は兄貴だった。

「おー、元気してるか」
「うん。してる。どうした」
「いや別に。新年のあいさつ」
「もう11日だよ」
「そうだな。ところで母さんの誕生日いつだっけ」
「えーと、3月13日だったかな」
「13か。メモっとかねえと」
「兄貴、俺、だめだわ」
「…おー、どうした」
「いや死のうと思って」
「そうか。首つり?」
「いや、飛び降りるよ。ここ7階だし」
「なんで?」
「え?」
「なんで死ぬんだ?」
「いやー、ちょっともうだめっぽいから」
「そうか、いや残念だなあ。さびしくなる」
「うん、ごめんな兄ちゃん」
「兄ちゃんか。久しぶりだなその呼び方」
「ごめん、薬まわってきてる」
「そうか。でもお前、ちよりちゃんは?」
「うまくやるよ。ちよりなら」
「そうかなあ」
「そうだよ」
「ハルオ、生命保険はいってんの?」
「はい………いや、はいってないわ。はいってなかった」
「貯金は?」
「パチンコで溶かした」
「ハハハハ! お前、アホだな~」
「……兄ちゃん…俺、アホだわ……」
「そうだなあ」
「葬式って金かかるよな」
「おう、かかるぞ」
「じゃあ生命保険入ってから死ぬことにする」
「そうしな、バカ野郎」
「……ねむい」
「お、陽菜が起きてきた。陽菜、おじさんだぞ~」
「おじさん? おじさん、ひなだよぉ。まだおきてるの?」
「いや……もう寝るよ」
「おじさん、あしたはおしごと?」
「うん」
「そっか。がんばってねえ」
「うん」
「おい、ちゃんとあったかくして寝ろよ。じゃあな」
「うん」


その日はそのまま意識が落ちたけれど、あまりの寒さに早朝4時に目が覚めた。とうぜん俺はアホのごとく風邪をひき自殺どころではなく、会社を2日休んだ。そうしてそのまま何事もなかったかのように生き続けている。2年前の話である。あのときのどろどろした自殺願望を絵にしようと筆をとったが、それがなかなか進まない。生命保険は無事に入ることができたけれど、その絵を完成させるまでは死ねないなあとなんとなく思っている。そういうわけで俺はまた絵を描けるようになった。もちろん時には休むし、時にはぜんぶグチャグチャにする。完成はいつになるかわからない。


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