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みぎうえ



おじいちゃんは大きな水槽を持っていた。
そのなかには綺麗なきれいな人魚が6匹、いつもゆらめくように泳いでいて、僕は水槽にへばりつきながら、人魚たちを見るのが大好きだった。

ふわふわの髪の毛を波に乗せて元気に泳ぐ人魚、顎のあたりまでの短い髪に可愛らしい花飾りをつけている人魚、ちょっとすました顔でくちびるをとがらせている人魚、
いつも後ろをむいて顔を見せてくれない人魚、おじいちゃんが水槽に近付くと微笑みながら近付いてくる人魚。僕はどの子も綺麗だと思ったけれど、たった一匹、好きで好きでたまらない人魚がいた。



彼女は、うすい桃色の髪の毛に、控え目な朱色のリボンをつけていた。細い腰にはぽこぽこと脊椎が浮いている。小ぶりだけど可愛らしい胸は僕の視線を捉えて離さない。下半身の魚の部分はたっぷりと肉を含んでいて、一枚一枚丁寧に張り付けたような美しいうろこが、泳ぐたびにきらきらした。尾ひれは平べったくて、静かに波を揺らしている。物憂げな瞳はスカイ・ブルー。時折ゆっくり行う瞬きが、とても妖艶に見えた。
彼女はいつも、僕が水槽にへばりついている間、緩慢な瞬きのあとにくちびるを少し動かしながら「みぎうえ」と言う。だから僕は彼女の声に従って右上を見るけれど、そこにはおじいちゃんが水槽の横に寄せた大きな古時計があるだけで、他にはなにもない。僕もおなじように「みぎうえ」とくちびるの動きだけで言うと、彼女はふっと微笑んでくれた。



ある日、おじいちゃんが死んだ。それはあまりにもいきなりで、僕は本当に哀しかったのだけれど、お父さんとお母さんは、なんにも言わなかった。人魚ばかりにかまけていたおじいちゃんが、あんまり好きじゃなかったのだと思う。
とりあえず人魚たちをどうするかという話になったけれど、お父さんは人魚に興味はないし、お母さんにいたってはこの子たちが大嫌いだ。いつも、「災いを呼ぶ」と言って近付きもしない。
両親が出した決断は、海に捨てることもできないので、親戚に人魚を譲ろうということだった。僕がさみしそうにしているのに気付いてくれたのか、お父さんが「どれか一匹、お前にあげよう」と言ってくれた。僕はもちろん、「みぎうえ」を選ぶことにした。そうして「みぎうえ」以外の人魚たちは、お父さんの手によって、親戚の人たちにわたっていった。


僕と「みぎうえ」の生活がはじまった。
「みぎうえ」はひとりぼっちになってしまっても、いつものように憂い表情で水槽を泳ぎ回っている。僕が学校から帰ってきても、大抵は僕のことなんか気にしないで、髪の毛を撫ぜたり小魚と遊んだりしている。広くなった水槽の中、みぎうえは自由に泳いでいるけれど、楽しそうなのかそうでないのか、僕にはわからなかった。

中学校にあがって勉強が忙しくなると、もやもやした気持ちを忘れるために「みぎうえ」を眺めてしまい、水槽から離れることができなくなった。お母さんがヒステリックに怒っても、僕はずっと「みぎうえ」を眺めていた。「みぎうえ」は僕をぼんやり見ながら、「みぎうえ」と言った。ひどい時は一日中、僕と「みぎうえ」はくちを同じ形にぱくぱくさせるだけの時間を過ごした。



ある日、学校の帰り道に、クラスメイトの女の子を見た。彼女は制服のまま、小さな雑貨屋さんに入ると、とても嬉しそうな顔で出てきた。彼女の髪の毛には、ふわふわした赤いリボンがついていた。それは本当にかわいくて、僕は彼女の名前も知らないのに、心臓のほうが思わずどきりとしてしまったぐらいだった。
僕はすぐさま雑貨屋さんに飛び込んで、「さっきの子とおなじものを下さい」と店員さんに告げた。背の高い女の店員さんは、最初はすごく変な顔をしたけれど、僕が「プレゼント用で」と言うとにっこり笑った。「彼女を大切にね」と最後に言われたので、僕は笑顔で頷く。家に帰って、「みぎうえ」にこれをあげれば、彼女はきっと僕に笑いかけてくれる。水の流れにこのふわふわのリボンが揺れると、本当にきれいだろう。



赤いリボンを持って、「みぎうえ」の水槽に走ってむかうと、そこにはお父さんが立っていた。お父さんが水槽の部屋に居るのは本当にめずらしくて、僕はついびっくりして、リボンを落としてしまった。
「お父さん」
僕が声をかけると、お父さんはゆっくりと振り返った。眉間に皺が寄っている。お父さんの大きな体の所為で、僕が水槽の部屋に入る事ができなかったので、恐る恐る、「退いてくれる?」と言ってみた。

お父さんは僕を見下ろして、そっと肩に手を乗せ、「もうこの部屋に来るんじゃない」と言った。僕はリボンを拾い上げながら、震える声で「どうして」と尋ねた。
「…すまんな」
そう呟くと、お父さんは部屋のドアを閉めて、鍵をかけてしまった。




それから僕の生活は、ひどく変わってしまった。「みぎうえ」が見られなくなっただけで、僕の動悸は激しくなって、呼吸もできなくなるほどに体が衰弱した。お母さんは狂ったみたいに「人魚の所為だ」と言っていたけれど、僕は知っていた。
お父さんのせいだ。お父さんが「みぎうえ」をひとりじめしてしまったんだ。その証拠に、お父さんは最近はやくお家に帰ってくるようになったし、帰ってくればすぐに「みぎうえ」のところに行くようになっていた。
僕はお母さんに、「お父さんが「みぎうえ」と浮気をしている」と告げ口した。いけないことをしている意識はまったく、なかった。悪いのはお父さんだ。あの時お父さんは確かに、僕に「みぎうえ」をくれたんだ。お母さんはまた叫びながら、お父さんを問い詰めていた。お父さんは眼を伏せてから、僕を見て、「お前は部屋に戻っていなさい」と言った。その日、お母さんの叫び声はやまなかった。






僕は高校生になった。
「みぎうえ」を見られなくなってから、もう1年くらいになる。最初ほど苦しくはないけれど、やっぱり、今でも「みぎうえ」が恋しかった。

時折「みぎうえ」が、海のように広い水槽で泳いでいる夢をみる。僕もなぜか海の中にいて、「みぎうえ」と波を共有しながら泳いでいるのだ。「みぎうえ」のしっぽがひらひらと、僕を誘うみたいに揺れるので、僕は必死で「みぎうえ」を追い掛けた。「みぎうえ」は付かず離れず、僕が遅かったらたまに振り返って、口を動かした。「みぎうえ」。僕はそんな彼女を見ながら、同じように「みぎうえ」と口を動かす。僕らだけが知ってる暗号のように思えて、誇らしかった。きっとお父さんは、しらない。

あのときあげられなかった赤いリボンを、いつか「みぎうえ」ともう一度逢えた時に渡すために、片時も離さないよういつも持ち歩いた。たまにさみしくなると、このリボンを撫でながら、「みぎうえ」と呟いた。




お母さんとお父さんは離婚してしまった。僕はお父さんに引き取られることになったのだけれど、それはどちらかというと、僕がこの家を離れたくなかったということになる。お母さんは「もう疲れたわ」とだけ言い残して、振り返らずに出ていった。小さな背中は薄汚れているようで、「みぎうえ」の白くうつくしい背中とは比べ物にならなかった。






そして、ある朝のことだった。
がしゃーん、と、鼓膜が破れるみたいな破裂音がして、僕はベッドから転がり落ちるように飛び起きた。何の音なのかは、直観的にわかっていた。どっと汗が噴き出る。慌てて部屋を飛び出して、「みぎうえ」のところに向かった。

部屋のドアは、開いていた。いつもはお父さんが厳重に鍵をしているところだ。迷うことなくドアノブを掴んで倒れ込むように部屋に入る。僕はそのまま、動きを停めた。古びた僕の靴下に、じんわりと水が染み込んでいく、その気持ち悪さも気にならないほどの衝撃が、そこにあったからだ。


水槽は大きく割れていた。黒い絨毯の上に散らばるガラスの破片は星屑のようなのに、それを覆い隠すような真っ赤な血が、きらきらと光っていた。その海のなか、ガラスの破片を被って血だらけになったお父さんが倒れ込んでいる。震える膝を必死で押さえながらお父さんに近付くと、お父さんの眼球がころりと飛び出て、まるでボールみたいに転がりながら、静かに、「みぎうえ」のところに辿り着いた。

「みぎうえ」は、黒い星の海に座り込んでいた。水槽ごしじゃなく、間近で彼女を見たのは初めてで、そのあまりの美しさに、僕は息を呑む。「みぎうえ」はお父さんの眼球を愛おしそうに撫ぜながら持ち上げて、飴玉を食べるみたいに口に放り込み、ごくんと飲み込んだ。僕が小さく悲鳴をあげると、やっと「みぎうえ」が僕を見る。



「みちづれ」



「みぎうえ」は微笑みながらそう言った。
今までで訊いたどんな声よりも美しい、波音のような声で、そう言った。




僕の体がぜんぶ「みぎうえ」のお腹に入ったとき、「みぎうえ」は死ぬのだろう。


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