スーパースター
気が付いたら、あたしは、金魚になっていた。
ふよふよとした、浮力にかこまれて、狭い視界に窮屈さを感じつつ、あたしは彼を見た。彼は部屋のまんなかで、白いイスに座り、なにかに浸るように、気持ちが良さそうに、ギターを奏でていた。水の中からは、その音色は聴こえないけれど、それでも、いい。ゆらゆらする、水草と一緒に、あたしは彼を眺める。たまに、体を動かさないと、自然に沈んでしまうようなので、気が散らない程度に尾ひれを、揺らした。そのたびに、ゆるやかな波がたって、あたしの体をすこし、撫でる。
彼が、ふと視線をあげた。ぱちりと眼が、あったような気がする。あたしは緊張して、体をちょっと強張らせたので、視界は黙って上にあがってしまった。あわてて、尾ひれを動かして、すこし浮上する。彼は一瞬、考えるように上を見てから、ギターを傍に置いて、立ち上がった。こっちに近付いてくる。彼が来る。ガラスの向こうは、春の陽射しにきらきらと、曝されていて、とても、うつくしい景色だった。汚れひとつない、金魚鉢のなか、あたしは瞬きする。ぽってりとしたお腹が、重たいけれど、彼の為に、短い尾ひれを必死で、揺らした。
金魚鉢の上から、彼は、あたしを見ていた。金魚のあたしが、彼を見つめ返すのは、すこし難しくて、あたしはバカみたいに、尾ひれを懸命に動かす。まれに、あたしのものと思われる、赤い尾ひれが、視界の端に挟まれた。彼は、細くて長い指を、爪先だけ水に入れて、ゆるゆると動かす。波がすこしたって、あたしはそれを利用しながら、顎をあげた。水面と彼の部屋の空気との間で、彼の指を、ついばむように甘噛みする。つめたい水が、口の隙間をぬって、たくさん体内に流れ込んできたけれど、あたしは当然の様に、それらを、えらぶたから逃がしてあげた。一心不乱に、彼の指に、キスをする。彼はやんわり、微笑んで、かわいいと、呟いた。
眼が覚めると、あたしは、天井を眺めていた。天井に張り付けた、ポスターからは、ギターを抱えた彼があの微笑みを、零している。カラフルでポップな書体で印刷された、彼の名前を、ぼんやり眺めた。あたしは、ぎゅっとシーツを掴んで、お腹に力を入れる。上半身だけを起こすと、声を出さずにすこし、泣いた。
---Special Thanks / Maiko & Ed---
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