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アップル・ピープル



彼女の家の冷蔵庫には、いつも林檎がふたつ、入っていた。

何故林檎を冷蔵庫に入れるの?と聞くと、
「だって、冷えた林檎は美味しいじゃない」
と、ふわりと微笑まれた。

その割に彼女は不器用で、うまく林檎が剥けず、皮にたくさん実を付けたまま生ごみを排出していた。
包丁の持ち方があんまり危なっかしいから、おちおち安心してもいられず、傍についていると、
「そんなんじゃ集中できないから、あっちいってて」
と、彼女は恥ずかしそうに答えた。めったに照れる事のない彼女の、貴重な表情だった。

ある日、彼女は包丁で指を切った。
ほらいわんこっちゃない、と、消毒液を含ませたティッシュでそれを拭ってあげていると、
「あんがい、包丁で人間の肉って、切れないものなのに」
と不満げに洩らされた。そんなことはない、牛肉も豚肉も鶏肉も、この包丁で捌かれている。
包丁は危ないから、君は遣わない方がいいよと忠告しながら、カットバンを張ってやった。

その日から僕が、林檎を剥くようになった。彼女はひどく落ち込んでいた。
林檎の皮剥き以外はなんでもできる彼女の、唯一の汚点だったのかもしれない。



冷蔵庫の林檎は、ひとつ減ればひとつ足すというリズムで保持されていた。
だけどもある朝何気なく、彼女の家に行くと、冷蔵庫からふたつの林檎が消えていた。
こんなことは珍しかったので、僕は稀に見る動揺っぷりを見せた後、慌てて家を探った。

彼女はどこにもいなかった。


もう一度冷蔵庫を開けても、林檎はどこにもなかった。
マヨネーズやお茶、しなびたレタスはそこにあったのに、真っ赤な林檎だけがなかった。
僕はそれが心底哀しくて、辛くて、切なかった。
衝動的に包丁を手に取って、左の手首にその刃を当て、強く押し付けて引っ張ると、
まるで猫が引っ掻いたみたいな、うすいうすい切り傷ができた。
僕の予想していたものとは違う。僕はもっと、血が出るように、切ったのに。

僕はそこでようやく、彼女が、包丁であんがい人間の肉は切れないと言った事を思い出した。


キッチンにへたりこんだ僕を慰めるみたいに、冷蔵庫が電気を操って呻く。
ゴミ箱には、実のたくさんついた、不器用に剥かれた林檎の皮がたくさん、詰め込まれていた。


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