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スカイラブ



もぉいいかぁい!


どこかで、子供の声がする。アタシはベランダの窓を開け放ったまま、ぼんやり、夕方からビールを呑んでいた。爪先がすこし、さむい。見たこともないような派手な柄のカーテンが、ゆらりゆらりと、アタシと部屋を煽った。アタシは白いテーブルの上に乗っている、メンソールの煙草を眺めながら、缶を指でリズムよく叩く。

アタシがクッキーの部屋に来たのは、すこし久しぶりだった。
クッキーと初めて出逢ったのはちょうど1年前。大学で出逢ったクッキーは、その時、自販機の前でうろうろと歩いていた。クッキーはこの時代、髪の色がまっピンクで、しかも綺麗に切りそろえられたおかっぱだったから、誰よりも目立っていた。でも、誰とも群れないでひとり、ぼんやり遠くを見たり、小さな文庫本を読んだり、花柄のヘッドフォンで音楽を聴いたりしている。不思議な子だなあ、なんて思っていた矢先に、彼女を見かけたのだ。
アタシは彼女に、黙って100円を差し出した。昨日、煙草を買ったおつりがポケットに入っていたのである。それは本当に偶然だったのだが、20円しか持っていなかった彼女は、どうしても飲みたかったというホットミルクティーを買う事ができた。しかもそれが、ちょうど最後のひとつだったということで、えらく彼女は喜んだのだ。
「わあ、とってもラッキーだわ、ありがとソラさん!」
「…なんでアタシの名前、」
「イギーが呼んでたもの」
イギーとは、アタシの唯一の友人であり彼氏でもある、同回生の男だった。五十嵐だから、イギー。よくわからないが、彼は小学校からそう呼ばれているらしい。
「なんだ…イギーの友達?」
「そうね、うん、そう言ったらそうよ、でも私達は同士なの」
「同士って?」
「あなたを愛する会」
クッキーは、一本だけ抜けた前歯を見せて笑った。そのあどけなく、あたたかい微笑みと、最強の口説き文句に、アタシはあっさりクッキーにおちたのである。




クッキーにあの時の話をすると、「イギーが、そう言ったらあなたと友達になれるって言ったの」とだけ返された。クッキーは耳に開けたピアスホールを掻きながら、なんでもないように言ったので、「なんだそんな単純な事か」と思う。イギーのばかみたいな冗談と、クッキーの持つ独特で惹きつけられるような存在感に、アタシはまんまとはまった。きっとイギーは、アタシとクッキーを結び付けたかったのだのだろう。
イギーはクッキーをひどく珍しがっていて、「彼女はきっと火星人だよ」と言うのだ。イギーはアタシと、火星人のクッキーを研究しようとした。だけどクッキーは、火星人ではなく、ただの宇宙人だった。

クッキーはアタシに影響されて、煙草を吸い始めた。アタシは、イギーの影響で吸い始めたから、嫌な連鎖である。なんやかんやでいろいろあって、アタシとイギーは同棲をはじめた。クッキーはひとりで、遠いようで近いような場所に、アパートを借りて住んでいる。だからアタシたちはよく、お互いの家を行き来して、いつも一緒にいるようになった。




そんで、アタシは今、クッキーの部屋でビールを呑む。向かいのマンションの、5階のベランダに、白と黒のペンキで汚れた作業着が干してあった。あそこはいつもそれと一緒に、女物の服がかかっていたんだけれど、見当たらない。どうやら5階のカップルは別れてしまったようだ。アタシとイギーも、明日は我が身かな。もちろんイギーは好きだけど、同棲っていうものは、ほんと、長くは続くもんじゃないと、アタシはおもう。

もう少しでビールの缶が空く、といったところで、クッキーが帰って来た。がちゃがちゃ、とドアが開き、薄いシャツ一枚と短いデニムスカートを穿いたクッキーが飛び込んでくる。アタシはすぐに缶をテーブルに置いて、身を乗り出した。
「クッキー、あんた、上着は?」
「私ね、買い物のついでに、クリーニング屋さんに行ってきたの」
クッキーの話は脈絡がないようでいて、実はある。アタシは黙って、クッキーのメンソールを勝手に一本、頂いた。イギーがくれたジッポで火を付けて、すうと吸い込む。
「待って、換気扇の下で吸いなさいよ」
「わぁってるよ、んで、上着は?」
「ああそうそれでね、4着、コートとジャケットを預けてきたんだけど」
そういえば、出かける前のクッキーは、随分と大荷物だったような。
「あと1着あれば割引出来ますよって言われたから、あの上着も置いてきちゃった」
「…お前、その間、どうすんの。一週間くらいかかるでしょ」
「別にどうってことないわ、マフラーとストールがあるし、ソラさんのジャケットもある」
「着る気かよ」
「貸してくれるんでしょ?」
換気扇の下に移動して、メンソールを吸うアタシに、クッキーは振り返って笑った。ああ、もう。あたしはこの、唇の隙間から見える、歯一本分の、空っぽに弱いのだ。あんまりかわいいもんだから、思わず「しょうがない」と呟いてしまう。

「ねえ寒いから、窓閉めていい?」
「あ、待って、向かいのマンション別れてるよ」
「知ってる。3週間前から、女物の下着とお洋服が消えたわ。洗濯も3日に1回になった」

クッキーは、ついこの間髪の毛を金髪から真っ黒に染めた。真っ黒のストレート。ピンクのボブから金髪のベリーショートを経て、こうなったのだ。クッキーの髪型はいつもころころと変わる。

「あと、子供がかくれんぼしてる」
「さっき、最後の子が見つかった。トタンの上に隠れてたの。頭いいわよね、上に隠れるなんてさ。でもね、鬼の子はカーブミラーを見て、みぃつけた!って叫んだのよ。聞こえなかった?」
「…聞こえた、ような」
「鬼の子が一枚上手ね。鏡の利用。私、鏡って不思議で好きよ」

クッキーは黒髪を肩に払いのけて、買ってきたのであろう、鍋の具材をキッチンに並べはじめた。白菜、豚肉、鶏肉、白ネギ、ホタテ、うどん…。
「あー、ねえクッキー、シメはラーメンってゆったのに」
「私はうどんが好きなの! だけどあなたたち、同じ事言うわね」
「なに?」
「イギーもシメはラーメンがいいって」
「じゃあ多数決でラーメンでいいじゃんか」
「ここは私の家だわ。私がルールなの」
堂々と言い放ったクッキーの細い足は、黒いタイツ一枚で護られていた。その下には薄く透けそうな白い皮がある。アタシはクッキーの、この、なんでもないような体と雰囲気が、好きで好きでたまらなかった。それは、イギーに対する愛情と、まったく同じようなものだったのかもしれない。
「で、イギーは?」
「ラーメンを買いに行ったわ」
「ぶはっ」
思わず吹き出すと、煙草の灰がコンロの上に零れ落ちた。クッキーはえらく綺麗好きで、こういったお粗相を許さないので、アタシは気がつかれないように、ふうっとそれを吹いて床に落とす。ばらばらに散った灰は、まるで雪みたいに、フローリングと空気に消えた。

「ねえビール、飲んだの?」
「あ、まだちょっとある」
「寒くなったわね」
「もう冬が来るよ」
「いいわね、私、冬って好きだわ」

クッキーの好きなものは、いっぱいある。ミルクティー、チョコレート、ニルヴァーナ、ブルース・リー、あとベンジー。それから鏡に、オシャレと、うどんと、メンソールに、ビール、そして冬。

「ねえクッキー、あんた、嫌いなもんってあるの?」
「あるに決まってるじゃない」
「なぁに、教えなよ」

ふふ、とクッキーは笑った。

「イギーよ。恋のライバルなの」

あー、クッキー、それはダメだよ。アタシはそう言って、コンロの横にある灰皿に煙草を押し付けた。吸い寄せられるように近寄ったくちびるが、甘く触れ合う。クッキーのキスはミルクティーの味がして、アタシのメンソールと一緒に溶け合った。イギーがドアを開けようとする音が、聞こえる。


「カギ開けてよ、ソラ! クッキー! いんだろォ」

ああ、邪魔すんなよ、アタシの可愛い恋人イギー。今ちょっと、浮気してるからさ。


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