忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

サイキョーラブソング・ヒストリー



「ごめん。付き合えない」




あたまのなかがまっしろになった。



ついさっきまで甘ったるい空気が充満していたあたしの外側で、折りたたんだ足を抱きしめる手が、ぎゅっと汗をかく。うっすらと明るくなり始めている空が冷たく見下ろしていた。ちょっと。ちょっと待ってよ。あれおかしいな。どこで間違えたんだっけ。今日はいつもどおりだった。バンド練習が終わったあと、ギターを背負ってサブローのアトリエに行き、彼が絵を描く背中を眺めて、無性にいとおしくなって抱きしめて、そんで絵の具に塗れたセックスをした。朝になって、脱げかけたTシャツから出た肩が寒くって眼を開けると、横にはサブローがすやすやと眠っている。かわいい寝顔をしていた。眉毛のあたりに赤い絵の具がへばりついて、固まっている。サブローは誰に何をやられても自分から眼を開けるまで起きないとしっているあたしは、その絵の具をそっと爪の先ではがしてやった。しあわせだった。古いベッドの横にはサブローの絵がたくさん散らばっていて、まるであたしたちは溺れてるみたいだ。しばらくしてサブローが瞼をこすりながらあたしの腕を引っ張ったので、あたしはそうして、「ねえ、このままでいいから付き合おうよ」なんて、とてもとても軽々しく、それでも本当に気持ちを込めてそう言った。サブローは眠たそうな瞬きを何度かしてから、「何でそんなこと言うの」と言った。

あたしは慌ててあやまりながら顔をそむけて、ベッドからそそくさと退出する。パンツとTシャツだけで眠っていたので、足の先まで冷え切っていた。サブローが厚紙に鉛筆でがりがりと描いた「らくがき」の上に、乱雑に黒いタイツが放ってあったから、それを取りあげてつんのめりそうになりながら足を通す。ショートパンツを穿いてから、サブローの迎えを催促した。サブローはぐずりながらもベッドを出て、ダウンジャケットを羽織りながら先にアトリエを出て行ってしまう。外はひどく寒かったので、サブローの車の窓に霜が張り付いていた。





あたしの家に着くと、サブローは、そう言った。確かに、言った。なんだか急に心臓が冷え切って、あああたしとんでもないことを言ってしまった、と鼓動が絶叫する。「そ、そうだよね、ごめん、ごめん、変な事言った、ほんと忘れて!」あたしは大げさに両手を振り、ぶらぶらと足を揺らした。サブローは、小さな声で、「ごめん」と呟く。
「えっえっなんで謝るの、ね、さっきのなかったことにしよ、ね、何も変わらないでしょ」
「・・・うん」
「あの・・・・・・ね、あたし、勘違いしちゃった! サブローのアトリエに入れてもらえるようになったから、あたし、もう彼女みたいな存在になれるのかなーなんて、なんか、ひとりで舞い上がっちゃって・・・、」
喉の奥が、きりりと締めあげられるような、そんな痛みに襲われた。足の爪先が、うすいタイツの向こうから透けている。遠くの方から、朝早く犬の散歩をするおじさんが歩いてきていて、あたしとサブローを物珍しそうに見ていた。「チバちゃんが」サブローが不意に声を出す。「チバちゃんが僕のこと好きなの、知ってたから。知ってたから、アトリエに入れてあげたり、ちょっと特別扱い、みたいなのしてあげると、喜ぶとおもった」そういう、やさしさだったんだ。サブローは言った。そのころのあたしは、ついさっき寝たばっかりなのにビープ音が鳴り響いて本当にうるさい、みたいなそんな感覚を口の中いっぱいに溜めこんでいて、もういてもたってもいられないから、ぐっとそれを呑み込んでいる最中だ。ああーそっかそっか優しさか! やさしさ! うん!やさしいもんねサブロー。

「ああね! そっかそっか! なるほどお、なるほどね! あー、でもどうだろ、その優しさはー、ちょっと、いらないかな!?」
「そう、だよね。ごめんね」
「あーだから謝るの無し、ていうかあたしが悪いんだって、なーにひとりで勘違いしてんだよって感じだよねほんと、あーごめん、ごめ・・・ん、」
鼻を抜けるような声が出た。これ以上涙腺を刺激するようなことをしたら、あたし、ほんと、ないちゃう。そんなことを思いながら何気なく外に眼を向けると、ぼろぼろって、ほっぺたに何かが零れ落ちてしまった。きゃああ。うそー、うそあたし泣いちゃったの。
「な、なんかさあ。ごめんね、あたし、こんな話するべきじゃなかったよね」
「・・・うん」
「言わない方がよかったね」
「うん」
「・・・言うつもりじゃなかった」
「うん」
「・・・、泣くつもりでも、なかった」
ずる、と鼻をすすると、サブローが動く気配を感じた。膝の上に、ふわりとティッシュの束が乗る。やわらかくてしろくて、羽みたいなティッシュ。あたしは慌ててそれを掴むと、サブローに顔をそむけたまま、ティッシュを突き返した。
「や、ごめん、要らないよお! だいじょうぶだいじょうぶ、そんなに泣いてないから!」
「でも、」
「ほんと大丈夫。はは、もう朝だねー、帰れって話だよね、なんか人見てたし、あは、恥ずかしいねえ」
あたしの乾ききった笑い声が、車の中に響いていた。サブローは居心地が悪いんだろうな。はやく帰って二度寝したいって思っているんだろうな。ね。そうだよね。サブロー。

「サブロー・・・、」
あたしのこと、すきじゃないんだね。


サブローがまた、謝った。あたしはむせび泣きながら喉を震わせながら、よく考えたら恋愛で泣いたのってはじめてだ、とどうでもいいことをおもう。次から次へと、溜まったものが出て行くみたいに、めだまが海に溺れていった。セックスをする前に、あたしの黒いタイツに包まれた足を見ながら、サブローが「チバちゃんあんがい細いんだね」と言ってくれたの、地味にうれしかったなあ。でも最近甘いもの結構食べちゃって、太ったんだよねえ。サブローは本当に細いから、わからないんでしょ、こんな気持ち。ねえあたし、サブローの絵、実はあんまり好きじゃないんだ。ごめんね。でもサブローが絵を描いてる瞬間がとても、すきなの。その空気感がたまらなく狂おしいの。サブローの絵はリアリティがありすぎてあんまりおもしろくないんだよ、あたしはどっちかというと抽象的なのが好きだからさ。でもサブローは好き。サブローが好きなの。サブロー、サブロー。


「サブロー、」
「うん?」
「ごめんね」
「僕もごめん」
「なんで?」
「チバちゃんのこと好きになれなくて」
「それは謝ることじゃないって」
「チバちゃんとは仲の良い友達でいたいんだ」
「それってこれからも一緒にいるってこと?」
「いてもいいかな」
「あたしに訊くの、ははは」
「チバちゃんは気まぐれだよ」
「そんなことないとおもうけど」
「他の男とも寝てるくせに」
「・・・寝てないよ」
「うそばっかり」
「ほんと」
「僕は嘘吐かれるのが一番きらいだ」
「ほんとうなの信じてよ」
「・・・なんで」


サブローは冷たい声で空間を落とした。さっきから停まる気配のない涙が、くちびるの山を流れて、マフラーに吸い込まれてゆく。あたしは唾を呑み込んでから、「本当なの」と小さく言った。ほんとう。ほんとうだった。サブローと出逢ったときは確かに、フリーセックスに抵抗があんまり無くって、そもそもサブローとヤっちゃったのも初対面の日だったし、でもそう言うとサブローも軽いんじゃないのっておもうけど、まあそれは今どうでもよくて。とにかく、サブロー以外にも通っている家があったのだ。でも、あたしはサブローを好きになった。サブローのときおり見せる少年みたいな微笑み方や、絵を描く時の表情、好きな画集を滾々と眺めているときの目線、骨ばっていてかわいそうなぐらいの体、セックスしてるときの気持ち良さそうな声。ぜんぶだなんてそんな無責任な事言えないけど、ほんとに、好きなところがたくさん、あった。
でもあたしは不器用だった。破滅的に不器用で、素直になれなくて、うそばっかり、ついていた。本当は好きで、大好きでたまらないのに、あたしばっかり好きなんてずるい、あたしはあなたのこと好きなんかじゃない、って、変に意地を張って、他の男とも寝てますよって空気を出してたんだ。でも昔そうだったのは本当の話だし、今更こんな風に弁解しても、なんにもならないって、あたしはわかってた。それでもサブローのその冷たい声が、まるで氷みたいにゆっくり頭の先から爪先まで浸透してしまって、こわくてこわくて震えている。


「不器用なのが、素直になれないのが、気まぐれっていうの」
「そういうわけじゃないけど、チバちゃんは、たぶん明日にはまた違うことを言ってる」
「そんなことない」
「そんなことあるよ」
「あたしほんとに他の人なんかと寝てない」
「ほんとに?」
「ほんとだよ・・・でも軽い女の方が、サブローが、来てくれるとおもったから」
「僕は軽いわけじゃない。今も、こんな関係になってるのはチバちゃんだけだし」

やめてよ。あたしはその言葉をおもわず零しそうになりながら、そっと前のめりになった。心臓が痛くて破裂してしまいそう。つらい、とてもつらい。込み上げてくる感情をどうしたらよいかわからなくて、ただ泣いた。

「確かにチバちゃんは、いつ連絡しても来てくれたし、じゃあ他の子といつ逢ってるのかなあなんて思ってた、けど」
でもなんもかわらないんでしょ。あたしはまた鼻をすすって、ついに、ダッシュボードに置かれていたティッシュの箱に手を伸ばした。手触りもやわらかなそれは、鼻も瞼もぜんぶ優しく包んでくれる。そう、あたしが求めてるのは、こんな、さりげなくて寂しくない優しさなのにな。



「ねえ、人間としてさ、たぶん僕は、チバちゃんから離れるべきだよね」
「・・・そうなのかもしれないね」
「モラルに欠けることだとおもうけど」
「うん」
「僕はこれからもセックスしたいとおもってる」
「うん」
「だからどうしたらいいかわからない」
「もしあたしがセックスさせなくなったら、もう逢ってくれないの」
「・・・そうだね」
「そっか、ごめんね。わかってた。うん・・・わかった。また連絡してよ」
「うん、・・・チバちゃん」


こんなに僕の事を好きな人を、好きになれなくて、僕もつらいよ。


サブローはそんなことを言ったんだとおもう。でもあたしはただ呆然と泣いていたし、窓の外もすっかり明るくなって、自転車に乗ったサラリーマンや女子高生たちが傍を通り抜けて行くのを眺めていると、あたしが停まっても地球はまわるんだとどうしようもない現実を受け止める他になかった。あー、どこからまちがったんだろう。これ、ゲームならやり直せるのになあ。選択肢を間違えちゃったから、たぶん、バッドエンドになっちゃったんだろうなあ。サブローがこもった声で「もう帰りなよ」と言ったから、あたしはそうだねと笑った。
助手席のドアを開けて外に出てから、後部座席に回ってギターケースを引っ張りだした。それを肩にひっかけてから、マンションへの道を歩く。途中で走りだしたあたしの耳には、サブローの車が遠ざかっていく音が聴こえていた。走ると涙がなびいて、ほっぺたの濡れていなかった部分を汚す。これで顔面ぐちゃぐちゃ、メイクもぼろぼろ。泣きながらエレベーターのボタンを押して、ふと指先を見ると、塗ったばかりのオレンジのネイルが剥げてしまっていた。一生懸命塗ったのに。トップコートも綺麗にハケで塗ったのに。昨日まで綺麗に、あたしの指の上で、ギターの弦とも仲良くやっていたネイルだったのに。なんか、そうなんだよなああたし。ほんと、なんでか知らないけど、いつもそうなってしまう。


ああうまくいかない。ぜんぜん、うまくいかない。


部屋に飛び込むなり、靴も脱がないで玄関に崩れ落ちて、あたしは子供の様に大声をあげて泣いた。背中のギターは静かにあたしの鳴き声を訊いている。頭の中も顔もぜんぶがらがらに壊れてしまって、どうしようもない現実に、ひくついた喉が何度も何度もしゃくりあがった。





さんざん泣き喚いたあと、ひくひくと鼻を上下させながら、あたしはぎゅっとギターケースの端を握った。ああなんか今なら、今なら最強に切ない曲が書ける気がする。客が全員、さっきのあたしみたいにぼろぼろ泣いちゃうぐらいに、めちゃくちゃ哀しいラブソングが。ギターを掻き鳴らしたくてたまらない。弦が千切れて爪が割れるぐれーにピックで虐めまくって、史上最強の爆音と切なさを届けてやるんだ。そんであたしはステージの真ん中で絶叫しながら悲劇のヒロインを演じる。なんだ、サイッコーじゃん。サイッコーにサイテーで、サイキョーだ。あたしは最強だ。ああっ!なんか泣き過ぎてなんかテンション高くなっちゃった!今すぐ曲作ろう!作らなきゃだめだ! そんであたしはギターを引っ張りながら部屋の奥に引っ込んで、まっしろな楽譜とペンを握る。


PR

この記事にコメントする

お名前
タイトル
メール
URL
コメント
絵文字
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
パスワード

カレンダー

11 2024/12 01
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

最新コメント

[10/06 梅子]
[09/30 まいこ]

プロフィール

HN:
梅子
性別:
女性
自己紹介:
*Twitter
@sekai045
https://twitter.com/sekai045

*mail
tsubutsubule@yahoo.co.jp

バーコード

ブログ内検索

カウンター