ユニバース
思い出がすきである。あっとうてきに、すきだ。思い出ばかり思い出してうっとりしたり、わらったり、シクシク泣き出すのがすきだ。あたしは最近までこんな単純なことをどうしても認められなかった。我ながらバカみたいだとおもうが、そうだから仕方がない。もうこのままでいいから、30歳になったらぽっくりと、用意されていた落とし穴に落ちるように死にたい。
そういうことを言うと、ハナ子がわらった。たばこの煙を吐きながら笑っていた。口をあけたときに見える奥歯のぎんいろがまぶしかった。さびれた屋台に似合わない金髪と派手な恰好のハナ子と、会社帰りのOLであるあたしが並んでおでんをつっついている状況。とてもちぐはぐだけども、あたしたちにとってはいつものことだった。
「むずかしいねアンタ。ほんとまぁバカみたいに極端ですこと」
「……こないだ元カレが今カノとデートしてるとこに鉢合わせして」
「ほお。しかしどうやったって過去は過去だぜ」
「そうだけども。あたしはさ。部屋の電気が調子悪いからって、休みの日なのにわざわざチャリ漕いで電球を買いに来てた。スッピン、よれたセーター、くすんだジーパン」
「はっはっは。悪くないね」
「そうしてトレンチコート着てたっかいヒールを履いてるキレイなナリした女と、帽子かぶって青いシャツ着た元カレのラブラブおてて繋ぎを見たわけよ」
「荒れるね。まァ飲みなよ」
ハナ子は片手で瓶ビールを注いできた。グラスと瓶の口があたってカチンと鳴ったけど、あたしたちは気にならない。あたしはたばこを灰皿に押し付けて、奥の席で焼き鳥を食っているサラリーマンがけだるげにスマートフォンに触っているのをぼんやり見た。
「思わずツイートしちゃったよ」
「なんて?」
「『なにやってんだろうわたし』」
「ああ~」
鼻に抜けるような返事をしたハナ子は、続けて「ン~」と言いながらたばこを咥えて揺らした。
「どいつだ? 増田? それとも龍くん? 大川さんか?」
「佐野ちゃん」
「んっ~、美容師か」
ハナ子はあたしのだいたいの恋愛遍歴を知っている。そのどれもがアホのようにつらい思い出なんだけど(そうしてそれをたまに思い出しては泣いたりするんだけど)、そういうのも含めてハナ子はぜんぶ笑い飛ばしてしまうような女だった。あたしの5つ年上で、居酒屋でバイトをしていた時期に知り合った。それなのになぜだかもう何十年も一緒にいるような、それでいてさっき知り合ったみたいなそんなかんじもする不思議な存在である。
「泣かれたんだよな、別れるときに」
「そう。『俺には愛ちゃんしかいないのに!』って」
「それが、愛ちゃん以外にもいたわけか」
「当たり前よ、わかってる。あたしをずーっと愛してろってわけじゃない、あたしだって違う男を好きになったりもすンだから。でもね情けないのはさ、佐野ちゃんはちゃんと生きてたのよ。あたしが死んだように毎日仕事して文句垂れてしこたま酒飲んでグースカ寝て、またダラダラ仕事に行ってるときもね。つまり今あたしの生命力は枯渇してるってことよ」
「セイメイリョクが、コカツぅ?」
知らない言葉を繰り返すように、ハナ子は眉をひそめた。あたしはコップをぐいと飲んでからっぽにして、ハアと一息ついてからもう一度「そう、生命力が枯渇してる」と言った。
「生きるパワーがないんだわもう。だってはやく死にたいモン」
「じゃあ死ねよ、ほら、いま大通りにすっぽんぽんで飛び出してッたらいつでも死ねるぞ」
「すっぽんぽんである意味ないじゃん」
「あるよ。生まれたまんまの姿だよ。生まれたまんまの姿で、死ぬんだよ。ウウ~、文学的」
「真面目に聞いてんの? マジなんだけど、あたし」
「とにかく回りくどいッ! 結局なにが言いたいんだテメー。ツイッターだのフェイスブックだので不特定多数の人間に視姦されながらマスターベーションするぐらいなら、はっきり口に出して大きな声で言え!」
ハナ子はそれこそわりかし大きな声で叫んで、あたしにむかって人差し指を突き出した。スマホをつついていたサラリーマンが、ハナ子の背中ごしにギクッと体を揺らすのがわかってあたしはにやついた。
「なにニヤニヤしてんだ、愛。わたしもマジで答えてやってんだぞ」
「あ~、うん。はい」
「で、なにが言いたい」
「日々のマンネリ化に嫌気がさしています。刺激が欲しいです。もっとはっきり言うなら恋愛みたいなことしたいです。ワンナイトラブでも可」
ハナ子はフンと鼻を鳴らして、あたらしいたばこに火をつけた。ジジ、と火種が赤くなって消える。ハナ子の煙草の銘柄はメビウス。メビウスとは、小惑星であり、永遠の曲面であり、元マイルドセブンである。
「ムラムラしてんのかね、愛ちゃん。若いモンね」
「ちっがうの。セックスがしてーんじゃないの。恋愛みたいなことしたいの」
「だからその、みたいなこと、ってなに」
「……ときめき? かけひき? こいつ落としたい、落とせるか、みたいな瀬戸際のヤツ」
「バーーーーーッカ、あっはははは」
ハナ子は大爆笑した。爆笑しながらひっくりかえってビールをぶちまけ、たばこの火種でこのしょぼい屋台を炎上させてしまうんじゃないかと思うほどに爆笑した。
「瀬戸際のヤツはあんたが過去にやってきたことで、もうほんとうに過去で、ただの思い出で、いまがマンネリで、ところが未来はまた思い出とおなじになるのか。繰り返してくわけね。あんたの人生、メビウスの輪」
ハナ子はわかっているのかいないのか、煙をフーと吐きながらたばこを挟んだ指でメビウスの輪を再現しようとして、しばらくしてやめた。
「つまんねえよ、メビウス。愛ちゃん。どうせならもっとでっかくいこうぜ。セイメイリョクにコカツしてんならとりあえずビック・バン。宇宙にでも行って感化されてくれば?」
「宇宙になんか行けないもん」
「じゃあ宇宙を感じられる場所」
「どこ?」
「世界。の、夜空」
ハナ子はすっかり酔っぱらってしゃっくりをしながらそう言った。「世界の夜空」だなんてわけのわからないこと。さんざんビールを飲んだあとは日本酒できゅーっとキメるのがあたしたちのお決まりコースなんだけれども、どうやら今日は無理そうだ。
「ハナ子、帰ろうか」
「帰らない、わたし帰らないよ」
「だってもう3時。びっくりするよね」
「眠いとおもった。でも帰らない」
「なんでぇ……」
だんだん面倒になってきていた。酔っぱらったときのハナ子は至極めんどうくさい。そんなことはとっくにわかっているのに、なぜだかいつも限界まで飲み続ける。あたしは最後のたばこを口にくわえてライターを点け、店主に「おかんじょ」と声をかけた。
ああ。あたしはいま、これが思い出になっていくのを身体で感じ取っている。細胞の隅から隅までせせこましく働いて、このたのしかったハナ子との出来事を思い出に昇華しているのがわかる。やっぱり思い出がすきだ。いまが、思い出になるから、すきなのだ。つらいこともたのしいこともすべでは思い出になる。そうしてビールのなかにぶくぶく沈む泡のようにいつでも安心に満ち溢れている。
あたしはいつかこの思い出を思い出して笑える。そうして泣ける。
「生命力の枯渇は、宇宙の、いや世界の夜空で復活するのか」
「バッカヤロウ。そんなにうまくいくかよ。とりあえず逃げてみろ、生命力を奪うようなところからさ」
「逃げられるわけないじゃん」
「いいや逃げるのさ。すぐにでも。帰ったら荷物まとめろ」
「無理だってばぁ」
「とにかくアンタはなぁんにも間違ってないんだからさ。刺激が欲しけりゃ宇宙へ行くんだね。それが無理なら世界、さらに無理なら日本のどこか遠いとこ。そこでセイメイリョクがジュンタクになるんじゃないの」
「簡単に言うけどね、ハナ子」
「簡単に言うさ。わたしのことじゃあないんだからね。アンタのことさ」
勘定を済ませて外に出ると、屋台のなかよりやっぱりよっぽど寒かった。雨上がりのコンクリートのにおいがツンと鼻にしみる。かたくて冷たい風が耳の裏を通り過ぎていって、身体がすくんだ。飲み過ぎたビールのせいで足元がおぼつかないけれど、帰らなきゃならない。ここでいつまでも管を巻いていたって明日はどうしても来る。
今を通り過ぎて出来ていく思い出がすきで、すきで、たまらないから、未来がこわくなる。当たり前のことだった。そんなあたりまえのことに気が付くのにずいぶんとかかった気がする。朝が嫌いだったのだ。もう二度と夜が明けるなと思った日だってあった。
キャスターを取り出して火をつけていると、メビウスの煙がふっと横に舞った。
「いやぁ、セイメイリョクのコカツね。フフ。いいこと聞いたぜ」
「もういいから、わかったから。あんまし繰り返さないで」
「よく考えてみたらわたしもセイメイリョクにコカツしてるんじゃねーかなって、今」
「……ハナ子はそういうタイプじゃないでしょ」
「いいや。コカツしてるさ。カサカサよ。アンタと同じ。さすがに30歳はイヤだけど、やりたいことやりきったあと、どうせならすっぽんぽんで死にたいって思ってるしね」
「すっぽんぽんはあたし思ってないからね」
「すっぽんぽんの何が悪い。わたしたち、生まれたまんまの姿で、死ぬんだよ」
ふたりはいっしゅん黙って、「ウウ~、文学的!」とはしゃいだ。そのまま手をつないでフラフラ、あっちへいったりこっちへいったりしながら帰った。道を分かれるすんぜんで、ハナ子は「グッバイ、さよなら、また今度」と言った。
また来週もハナ子には会う。こうやって小汚い場所でビールを飲んで日本酒をやって、くだらない話をして、深夜になったら解散。それだけであたしの思い出はまた完成するのだ。しかし、宇宙か。ひとりじゃきっとさびしいな。
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